ひねくれ女のぼっち日記

「勉強になりました」が口癖の人の日記

2021/5/29(土) 18:00

May. 29th, 2021


5月の最後の土曜日
やってきました定期更新

暑くないですか?もう夏?

私が小さい頃は
春→梅雨→夏→秋→冬
だったのに、だんだん
春→初夏→梅雨→夏→秋→冬
になってきてて、最近じゃ
春→初夏→夏→梅雨→大夏→残夏→初冬→冬
だよ。

秋がない、だいすきな秋が。
(5月に秋の話しないでください)

あと夏長くなりすぎ

暑さ、君がいちばん自粛して。
地球の横暴を許すなー!



さて、定期更新にしては前置きが長くなりましたが、今回のトピックとはなんの関係もありません。

今回はトピックを2つに絞りました。
(1つが長くなりすぎたから)


【泊まりたい人と泊めたくない人】
【生きてるって素晴らしい】

2本立てでお送りします






【泊まりたい人と泊めたくない人】

少し前にアップされた動画ですが、YouTubeでたつろうさんの、「泊まりたい女 vs 帰って欲しい女」というのがあります。

(男性版もあるみたい)

一応女性版のみリンクを貼っておきます
泊まりたい女 vs 帰って欲しい女


これ、本当にわたしの中であるあるで。

あるあるとして取り上げてもらえたってことは、皆もあるあるなんだ!ってちょっと嬉しくなりました。



何を隠そう、私は、「帰って欲しい女」です


割と相手が誰であってもです。

嫌いじゃないんです、むしろ好きなんです。

でも、一日中一緒にはいられないというか。

一人で眠りたいというか。

どこか気が休まらないというか。


ひねくれ女、結局一人が好きなんでしょう。

一人は好き、でも孤独は嫌い。というめんどくさい寂しがり屋です。

同じ考えの人、多分多いですよね。

おっと、話が逸れちゃいました。



さて、私が「帰って欲しい女」であることは前述の通りですが、さらにこの女、「帰りたい女」でもあります。


人の家で寝たくない。

枕や環境が変わったら眠れないという訳ではありません。

むしろ寝ようと思えばどこでも寝られます。


でも、誰かの家で寝かせてもらうくらいなら、じゃあ近くのホテル予約しちゃおうかな、となるタイプです


帰って欲しいし、帰りたい。
泊めたくないし、泊まりたくない。



でも、旅行や合宿など、誰かと旅館やコテージ、テントに泊まることには、そこまで抵抗がありません。


では、この一人が好きな女、泊める・泊まることの何が嫌なんだろうと考えました。

私の中で、答えは大きく2つありました


1つ目は、自分、または相手のテリトリーの存在をすごく気にするということです。

《テリトリー》
① 土地。地域。特に領土(領海を含む)、領域をいう。また、学問的などの分野。
② 動物の個体、つがい、群れなどが、ある期間一定の範囲を占有して、侵入者を排除する行動が見られるとき、その占有地域をいう。縄張り。
- テリトリー | コトバンク

テリトリーにはざっくりと二つの意味がありました。

ここでは、②の縄張りという意味が近いのかもしれません。


泊める・泊まることに抵抗がある人は、このテリトリーの存在をすごく気にするのです。

気にする理由は沢山あると思います。

まず、テリトリー内のルールが存在する場合。

これは、「トイレは使ったら蓋を閉める」や、「ドアは開けっ放しにしない」、「テレビやエアコンのリモコンの定位置」など、部屋の住人としてのルールがある場合です。

(私がマイルールをもっていないので、あまり良い例が思いつきませんでした。)

この場合は、ルールを破られると、すごく不快になります。

だから、ルールを知らずに破る可能性がある他者を自身のテリトリーへ招き入れたくない。

「じゃあ『こういうルールがあるから』って最初に説明すればいいじゃん?」と思う方。

嫌だよ、逐一説明して、めんどくさいやつって思われたくないし。

人間関係を悪化させるくらいなら、最初からあまり泊めたくないな、と思うのではないでしょうか。


一方、泊まる場合も同様です。

もしかしたら相手のテリトリー内にはルールがあるかもしれない。

もしかしたら私に気を遣って、ルールがあることを言い出せないのでは?

などと考えを巡らせた結果、
相手に嫌な思いをさせる可能性があるなら、泊まりたくないな、帰りたいな、となるわけです。

衛生観念に対する価値観の違いも、テリトリーのルールに属されるかもしれません。

私だって洗面所で髪をといた後、抜けた髪の毛を排水口に流されるのは嫌ですから。お風呂はいいけど。(実体験)


つぎに、自身のテリトリー内に他者がいるということが不快な場合。

これは、言葉では言い表せる感情では無いかもしれません。

自分が心安らぐ場所であるはずの縄張り内に、他の動物の存在を感じると、不安になるのです。

これは、その相手が極端に嫌い、苦手というわけではないと思います。

ただ、なんとなく、心が安らげないのです。

だから泊めたくない。

逆の場合でも同様です。

相手の縄張り内で心を落ち着けて眠ることが難しい。

だから、泊まりたくない。

もしかしたらDNAに刻み込まれた動物的な本能、危険察知能力なのかもしれません。



私の場合、心が安らげないから泊めたくない、相手のテリトリーのルールを気にするから泊まりたくない、が大きな要因です。

最初にお話した、「相手が誰であっても」とは少し矛盾しますが、父と母なら私は全く気にしません。

生まれてから高校を卒業するまでの18年を実家で過ごし、ある程度のルールや衛生観念に対する価値観が似ていることが分かっているからかもしれません。

似ているどころか、その価値観で育っているのですから。

もちろん、父と母が泊まりに来る場合も大歓迎です。


しかし、兄の家には泊まりたくありません。

兄が一人暮らしを始めてから、部屋に行ったことはありますが、泊まったことはありません。

兄のことは好きですが、兄のこだわりが分からないからです。

もし実家で暮らしていたときと考え方やルールが変わっていたらどうしよう、

そもそも綺麗好きで物が少ない兄だから、マイルールに厳しそうだなぁ、

などと考えてしまうのです。

逆に、兄が私の部屋に泊まりに来たいと言えば、それは大歓迎です。

兄は警戒の対象ではないからです。
安心して眠ることができます。

「えー、にいにの部屋より汚いかもだけどいい?笑」と一言保険をかけることはあるかもしれませんが。



このように、自分、または相手のテリトリーの存在に対する意識がすごく強いのです。


潜在的な縄張り意識だとおもいます。



そして2つ目は、都合の良い人だと思われるのが癪だから。

このひねくれ女、勿論これまで人を泊めたことだってあります。友人とお泊まり会だってするし、むしろ好きです。

では、泊めたくない!となる基準はどこでしょう?

私の中で、「まぁ泊めてもいいかな」となるラインに、「前もって決まっている」ことと、「当日(または翌日)を一緒に過ごす予定がある」という基準があることに気づきました。


その日一緒に遊んだり、飲んだりして、一緒の部屋に帰って飲み直そう。

その日は一緒にDVD鑑賞会をしたから、そのままお泊まり会。

次の日早朝から一緒ディズニーに行くから、前日から泊めて翌朝一緒に行く。

これが前もってわかっている場合は、私はあまり嫌だなぁと思わないのです。


前日までに泊めることが分かっていれば、心づもりができるからかもしれません。


一方で泊めたくないなぁと思うのは次のようなときです。

その日一緒に遊んではいたけど、夜には解散の予定だった場合。

「○月○日泊まっていいー?そっちで用あるんだよね〜」といった具合のホテル扱い。

いちばん最悪なのは、
直近でそんなに連絡をとっていないにもかかわらず、「終電を逃したから泊めて」と言われる場合。(異性だと尚更嫌気吐き気胸焼け〜←言い過ぎですよ)

たしかに私はあまり断れない性格となぜか思われがちなので、頼んだら泊めてくれそうとでも思ってるんでしょう……


……嫌です!!!

部屋が汚い、わけではないんですよ。

ただ、今日は一人でゆっくり眠る予定だったのに…

それを崩されるのが嫌なんです。

いや私今日疲れてるんですけど、とか、明日も早いんですけど…みたいな時があります。

ましてや、その日も翌日も一緒にいる予定がないなら尚更のこと!

え?ホテル扱いですか??

無料で壁も屋根も床もあって電気も水道も使えて、アメニティだって貸してもらえるもんね?

ここはホテルじゃありません

と憤慨したくなるのです


都合の良い人扱いしないでいただきたい、ほんとうに。


たぶんこれ、分からない人には一生分からない気持ちだと思います。

終始これを読みながら、
「え?ルールがあるなら言えばいいじゃん」
「別に一緒に遊ぶ予定とかなくてもよくない?都合の良い人扱いしてるわけじゃないし」
と目が点になりながらだんだんと
「なんだこいつ、めんどくせえ女だな」
となってると思います

ええ、めんどくさい女ですよ

だからなんだってんだ、

嫌なもんは嫌。


世の中にはこういう考えの人もいるんだなぁと少しでも気づいてくれたらそれだけで嬉しいです


(ほんとは気を遣ってくれるともっと嬉しい)
(図々しくてごめんね)

(でもこっちからしたら急に「泊めて!」って言われるのも「図々しいなぁ」って思っちゃうんだよ)
(お互い様だね)


世の中思いやりが大事って、こういうとこでも出てくるもんなのよ、ね?

気遣いあって支え合っていきましょうよ





【生きてるって素晴らしい】

2つ目のトピックは、生きてるって素晴らしいということです。

急に「重!」とか言わないで

「そんなん分かってるよ!」って思う人
「何を綺麗事を言ってるんだ!」って思う人
たくさんの考え方があると思います



ただ、私は「健やかでいられること」を大切にしていたい。

そして貴方にも、大切にしてほしい。


いま、健やかでいられていますか?


「健やかってなんやねん!」と思った方、もちろんです。
あんまり日常で頻出する言葉ではないですよね。

《健やか -すこやか》
病気をせず、丈夫なこと。健康。
- Oxford Languages

検索すると、このように出てきます。

「健康」というと、身体的な面で考えてしまいがちですが、私は、精神的な面も含めて、心身ともに健やかでいたいし、貴方にもそうあって欲しい。


この言葉自体は、私の大好きな人がよく発する言葉であり、彼の願いでもあります。


私はいままで、彼のその言葉を、なんとなくで受け取っていました

「たしかに、不健康よりは健康の方がいいもんね」といったレベルで。




4月28日に、大好きな人たちの陽性・濃厚接触者判定が公表され、療養のための活動休止を余儀なくされた5月の幕開けでした

北海道で体調不良のメンバーが出たこと、大事をとって公演が延期となったこと。


そのニュースを見た時、目の前が真っ暗になりました


泣きたくなるような悲しい気持ちと、悔しい気持ち。

そんな簡単な言葉だけでは言い表せない、沈んだ気持ち。

涙を流してしまいました。


身を粉にしながら仕事をし、さらに感染予防対策だって毎日気を張っていたであろう彼らが、感染してしまった


どうして、彼らなんだろう


東京を歩いて周りを見れば、感染症なんてないかのように人はうろうろと歩き、飲みの席ではマスク無しで会話をしていることもあります


どうしてそんな人たちじゃなくて、彼らが。


なんで、どうしてが止まりませんでした



できることなら私が代わりに、

とさえ思いました。



でもそんなことは出来なくて、ただ彼らの様子が分からないまま、心の中で応援することしかできませんでした。


その中でも、先輩方のWebなどで、「連絡とったよ」だったり、無事であることを伝えていただき、まずはほんとうに感謝しかありません。



彼らの療養期間は、ファンは経過を知ることができないため、みんな不安な気持ちでいっぱいだったと思います

大好きな人が、苦しんでいたら。
もしこれから後遺症が残ったりしたら。

気が気ではありませんでした


約2週間の療養期間を経て、5月13日に活動を再開。

5月12日に公表された報告文を見たとき、目頭がじんわりと熱くなって、心臓の鼓動が早くなって、全身を血が駆け巡って。

そして今度は嬉しくて、また涙を流しました



しかし、まだ安心はできません。

陰性は出たかもしれない、体調は回復していることは一安心だけど、それでも。

やっぱり後遺症が残っているかもしれない


大好きな人がおいしくご飯を食べられない世界も、好きな香りに包まれることができない世界も要らないから。


それだけが不安でした。


5月13日、とらまるが全員分更新され、元気であること、症状がなくなったことを教えてくれました



ほんとうによかった

まだまだ油断はできないけれど、ひとまず、彼らが健やかでいてくれることが何よりも大切だから。


私にとっては、家族や友人、身近な人と同じくらい大切な彼らだから。


こうして、みんなが生きてくれているだけで幸せだと、改めて感じることができました。


当たり前の幸せに気付いて、より一層大切にできるように、大切にしなければと思いました


もしかしたら、私はこの2週間、「健やか」ではなかったかもしれません

大好きな人たちが健やかでいられないことが、苦しかったから。


だから私は、大切な貴方に、健やかでいて欲しい。


私の家族、友人、会社の人、このブログを読んでいる人、読んでいない人も、みんなが心身ともに健やかに生きていてくれれば、と思います。






以上、今月は2本立てでした

毎月1つは「嫌なことを嫌」とちゃんというトピックにしようと考えてるんですが、
さすがに語りすぎました


それだけ鬱憤が溜まってたということです

発散できてえらい!

そしてもしここまで読んだ方がいるとすればすごい!貴方もえらい!

いっぱいホメホメしちゃいます


来月はどんなことを書こうかな、

来年のことを言うと鬼が笑うって言うけど、
来月でも笑うかな


彼らが復帰した今、私たちは無敵ですから

もっと素敵な6月にしちゃうんだから



ではまたっ

#勉強になりました




P.S.

復帰したときに、全員がとらまるを更新してくれたこと、伝えてくれたこと。

謝らないで、という気持ちではありましたが、我々ファンはほんとうに愛されているなと実感しました。


あ、やっぱりこの手を握っていて良かった。

だいすきだよ、これからも。


また、度重なる緊急事態宣言の延長に倦厭する毎日ではありますが、より一層身を引き締めて感染予防対策を徹底します。

一人一人の心がけで、少しは良い方向に変わると信じています




ツアー、最後まで駆け抜けようね

派手に行こうぜ